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画像引用元:TOHO animationチャンネル公式様より
【モダンインテリアの歴史】:おしゃれの学校『バウハウス』
バウハウスって
\ なあに? /



聞いたことありませんが、
なんかそーいうのがあるんですね!!

あるのですが、

みんな『名前だけ』で満足しちゃって、
けっきょく何なのかを説明してくれません!!
おモダンなインテリア
\ ですね /




モダニズムには複雑な経緯があるので、
一概にルーツは決められないのですが、

『バウハウスから始まった説』で覚えるのが
1番分かりやすいんですよね~。

《バウハウス》って、
モダニズムのスタート地点みたいなモンなんや!!

ですので今日は!!
そもそも《バウハウス》とは何なのか!!

ざっくり大筋を覚えましょう!!
本日は
▼アニメで学ぶインテリア▼


そう!!
《造形学校バウハウス》とは!!

インテリア界のヒーローアカデミアなのです……。

そんなわけないだろ。

これはモダンが!!
世界最高のスタイルになるまでの物語!!
【バウハウス】:モダンの『何を勉強する』学校だったの?



え~、《バウハウス》というのは学校です。

ほいほい、『学校の名前』のことね。
雄英高校っぽいかどうかは置いといて。

時は1900年代初頭、

産業革命による『モノづくりの迷走』と、
第一次世界大戦による『都市や文化の破壊』により、
世の中は大混乱の状態でした。
『世界の混乱』が
▼モダン発祥のきっかけです▼



たしかに産業革命のおかげで、
これまでに無かった新しい力を人類は使えるようになりました。

でも上手に使えなかったんですよね。

暮らしの商品は『チープな粗悪品』ばかり。
すごい技術は『戦争の道具』になっちゃったわけだ。

このままではいけない!!
……ということで《バウハウス》は生まれたんです。

力を正しく使い!!
悪用から世界を守るために!!
インテリアの
▼『歴史の転換点』です▼



戦後、世界中はボロボロでしたが、
特に敗戦国のドイツでは『復興のための運動』が盛んでした。

理想的な新しい社会、
……ユートピアを目指そうという考えが大きく広がっていたんです。

敗戦国なら、復興がんばるよね~~!!

バウハウスは、
そんな状況のドイツ・ワイマールで生まれた学校です。

1918年、『第一次世界大戦』が終戦
1919年、『バウハウス』が設立ですよ。





当時、せっかくの職人の技術は
個々人でバラバラに活用されていました。

せっかくの技術で『粗悪品を量産』したりね。

それ自体も問題ですが、
量産品のせいで『本物のアーティスト』が損をしていた事情もあります。

『安価な粗悪品』が出回ると、
『適正価格のちゃんとした商品』が売れなくなる状況、
……今の日本でもよくあるでしょ?
より良い世界を
▼未来につなげる必要がありました▼



そこで《バウハウス》が開校し、
絵画・彫刻・織物……たくさんの芸術を建築に統合しようとしたんです。

色んなアーティスト(職人)が思い思いに活動してたけど、
『みんな、暮らしに活かそうぜ!』と声を上げたわけですね。

インテリアの歴史として重要すぎる。

「すべての造形活動の終着点は建築である。」
……これが有名な『バウハウス宣言』です。
▼『バウハウス宣言』▼



『諸芸術を統合』して、
『新しい技術』を見つめ直し、
『新しい社会』のためのデザインを、
『ゼロから考えて』造り出してゆく。

今でいう応用美術、
『生活のトータルデザイン』を目指していた学校なんですよ。

ほーんほーんほーん!!
『暮らし全部』を勉強するための学校なんや!!

『諸芸術』を一か所で学ぶために、
バウハウスには世界中から強烈な個性を持った教授たちが集められました。

バウハウス・マイスターたちです。
世界中から教授が
▼集まりました▼



『他人の個性を消し去る』
合理主義者のマイスターのような、

色んな特技を持った先生がいたわけですね。

ヒロアカ、
なんでバウハウスにピッタリなん?
レッド・イエロー・ブルー
▼『三原色』大好きなマイスター▼


『他人の個性を抹消する』
▼合理主義なマイスター▼



マイスター陣は各々、
自分なりの『アーティスト哲学』を持って活躍してきた、

クセの強い連中ばっかりだったのですが。

せやろな。

バウハウスという『一つの学校』で、
諸芸術を統合した『同じカリキュラム』を元に授業をしたため、

バラバラな専門家同士でも、
共通言語で意思疎通ができたというのはバウハウスの大きな強みでしたよ。
『未来のデザイン』を
▼模索したマイスター▼


『均質な素材』を
▼量産したマイスター▼



現代からすると、
モダンインテリアって『無装飾』のイメージが強いのですが、

最初から『無装飾』を目指したのではなく、
新しい世界をゼロから作るための『本質の追求』が本来の目的です。

あぁハイハイ、
『装飾を無くしたいマン』が集まったわけじゃないのね。

ですので『開校当初』は、
派手でカラフルで装飾的な表現も多かったのですが、

本質を追求していく中で、
今でいう『モダンらしいデザイン』が固まっていった流れがありますよ。
『刺激的』なチャレンジをする
▼先生もいました▼




初代校長ヴァルター・グロピウスなんて、
「バウハウスはスタイルではない」という言葉まで残しています。

ふむふむ?

どれだけ『現時点の結論』を出したとしても、
社会・素材・技術が変わればデザインも変わるのが必然です。

どうやってデザインするかという、
『考え方・プロセス』こそがバウハウスの本質だよ~というお話ですね。

いかにもバウハウスの校長らしいお言葉やな……。
▼《インターナショナル・デザイン》▼


【インターナショナル・デザイン】
《インターナショナル・デザイン》も、バウハウス校長ヴァルター・グロピウスが提唱した言葉です。氏は1925年バウハウス叢書『国際建築』にて、「これからは国際的に普遍的な建築が必要だ」と唱えました。
これが後の1932年ニューヨーク近代美術館『モダンアーキテクチャー展』にて、インターナショナル・スタイル(国際様式)として発展してゆきます。
【バウハウス】:モダンの『どんな歴史』に関わってるの?
だけど『順風満帆』では
▼ありませんでした▼




なのですが。

バウハウスの理念や活動は、
革新的すぎて批判も非常~に多かったようです。

今でも『モダン嫌い』いっぱい居ますもんね。
当時はさぞかし拒否反応キツかったでしょうな。

クラシック時代の価値観のまま、
『個性を自由に楽しめば良い』
『みんなに個性を分け与えよう』
……そんなヴィラン連合みたいな連中もいましたし、
バウハウスには『否定派』が
▼非常に多かったです▼



モダニズムは合理主義に走りすぎて、
『人間の住まいには不適切である』
『いっそローマ時代に原点回帰すべき』
……なんてヒーロー殺しステインみたいな連中もいました。

アンチばっかりじゃん。

そして『決定打』となったのがナチスです。

物語の舞台は、
『第一次世界大戦』と『第二次世界大戦』の間のドイツですからね。
バウハウスの周りは
▼『敵だらけ』でした▼



ナチスが『ブイブイ言ってる』ときに、
ナチスが『嫌がりそうな独自活動』してたんですよ、バウハウス。

案の定土地を追い出されて、
『強制引越し』になる仕打ちを2回も受けたのちに廃校しました。

ええ~~っっ!!!
廃校しちゃったの!?

そう。
モダニズムの歴史に今も残る《造形学校バウハウス》は、

たった14年の存続期間しかないんですよ。
最終的にバウハウスは
▼『廃校』に追いやられます▼

バウハウス留学生コラージュ作品
▼『バウハウスへの打撃』▼


ですがこの廃校が契機となって、
モダンインテリアは『世界中に』広がることになります。

どゆこと?

『バウハウス・マイスター』たちに加えて、
そこで理念を学んだ『学生1250名ほど』、

バウハウスの閉鎖後、
この人材が世界中に散って各地で活動し始めたんですよ。
『元マイスター』や
▼『卒業生』も活躍しました▼



それでもけっきょく、
世界中で『モダニズムの精神』は理解されなかったのですが。

国から出たからって、
モダンが理解されにくいのは変わらないもんね!!

ですが。
1945年『第二次世界大戦が終戦』した際に、

バウハウスの継承者たちは、
復興のためにモダニズムの『機能性・合理性』を活用します。
荒廃した国土に
▼モダンが来ました▼



戦後の『復興ブーム』のタイミングなんて、
どこの国でも背に腹変えられない状況なので、

モダニズム建築は一気に世界中に広まり、
《インターナショナル・スタイル》は市民権を持てるようになりましたとさ。

めっちゃ嫌われてたのに、力を貸したんですなあ。

「余計なお世話はヒーローの本質」って、
バウハウス校長ヴァルター・グロピウスも言ってました。

言ってねえわ。
バウハウスの『影響を受けた』
▼人々が活躍しました▼



そんな経緯により、
インテリア史における《バウハウス》とは!!

ほいほい!!

オシャレがどうこうよりも、
『アーティストを一箇所に集めて』
『共通言語で意思疎通をして』
『解散後に各地に散ったことで』
『世界中にモダニズムを拡散させた』という、

歴史的な意義が1番大きなポイントです。
スイス
▼『ウルム造形大学』▼


アメリカ
▼『ニュー・バウハウス』▼


イスラエル
▼『テルアビブの白い都市』▼


チェコ
▼『トゥーゲントハット邸』▼


日本
▼『新建築工芸学院』▼



いつかインテリア情報とかで、
《バウハウス》って名前が出てきたら!!

なんとなく『こんな感じ』だったことを
思い出して頂けましたら幸いです~~。

もしもバウハウスが解体されてなかったら、

モダンは世界には広まらずに、
『ドイツのクラシック』になってたのかもしれませんな。
▼ミッドセンチュリー家具▼


【ミッドセンチュリー家具】
1945年に第二次世界大戦が終戦し、これまで人気のなかった『モダニズム』は復興のために一躍脚光を浴びます。
この大きな歴史の流れのなかで、世紀の中間・1950年ごろを意味する『ミッドセンチュリー家具』は生まれました。
時代背景の『つながり』を意識すると、デザイン思想への理解がより深まりますよ。
【僕のヒーローアカデミアで覚える】:バウハウスでした!
雄英高校と
▼バウハウスです▼



というわけで!!
モダンデザインの源流《造形学校バウハウス》!!

ひとことで言うなら、
『建築を最終目標に』
『諸芸術を統合しようとした』
『ドイツの学校』
……ということなのですが!!

うむりうむり!!

ですがその実態は、
紀元前から続いてきた『人類の住まいの歴史』を、

たった14年間の存続期間で、
ゼロからひっくり返した『幻の学校』なんですよ!!




『どこの町でも似たような家』という言葉は、

それが当たり前になった現代では
悪口として言われがちだけど!!

言っちゃう言っちゃう!!

ですがバウハウスは、
『気候・風土』も『人種』も『生活様式』も異なる世界中で、

同じ一つの信念で作られた合理的な家を共有するという、
『偉業を成し遂げた』面もあるんですよ!!
世界中の人々の
▼心の拠り所になりました▼



当時だろうが現代だろうが、
『クラシックインテリア』には根強い人気がありますが!!

装飾の魅力とか、
どうしても「良いな~」って思っちゃうよね!!

ですがそれを乗り越えようと、
夢見た人たちの『努力の結晶』がモダニズムなんですよ!!

更に向こうへ!!
『Plus Ultra』なんですよ!!

やかましい。
『伝統的な街並み』に
▼かなり異質なバウハウス▼



現代日本で暮らしていると、
ついつい苦手意識を持ってしまうこともあると思いますが!!

よかったら『モダンの良さ』にも目を向けてみてね。

あいあい!!
▼目を向けてみてね▼



ではでは、本日はこんなところで!!
機会があったらまたお会いしましょう!!

来いよ、緑谷少年!! バイバイ!!

うるせえ。
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モダンインテリアには!!
《バウハウス》という超重要キーワードがあるのですが!!